昭和52年09月29日 朝の御理解
御理解 第16節
『無常の風は時を嫌わぬというが、金光大神の道は、無常の風が時を嫌うぞ。』
時を嫌うぞとありますね、これは時を嫌わすというふうに仰っていないですね。金光大神は、風が無常の風が吹いてくる。けれども時を嫌うとこう。例えば無常の風が吹いてきとっても、向こうの方へ追いやらせる力があるというふう、時を嫌わせるほどしのものぞと仰ってないわけですね。時を嫌うぞと時を嫌う。そこで今日私は思うんですけれどもね、この無常の風、これは確か三、四日前に、ここんところを頂いたんですけれどもね、無常、即有情と頂くべきだと。
この無常は私は月は無常というけれど、というあの無常として頂いたんですね。ここの御理解には、この常ではないという無常です。常でないと普通でないと言う事、常でないという。ですからあのどういう例えば難儀の問題が、もうそれこそ情け容赦もなく、吹いて参ります風でもです、それを神風と悟れと有常だと。神様のほんとに深い思いなのだぞと、いわゆる神愛と悟れと言う様な御理解でしたよね。
今日私はそこんところを、この常でない風という、無常の風というのはそういう、それから最後の時を嫌うぞと言う事。いつもではない時を嫌うと言う事。昨夜豊美達が夫婦で、おかげを頂きました。今度二人ここで修行させて頂きたいと、金光様にお願いさして頂いてきたら、それこそ御理解を下さってお許しを頂いた。あちらを発たせて頂こうとしておる時に、先日からここへ青年教師の方達が見えました。
中近畿のいわゆる教務所所長をしておられます先生から、ねんごろな手紙を頂いて、御本部とのあれもあるから、教務所主催というわけにはまいりませんけれども、中近畿の青年教師が、やむにやまれん思いでそちらの教会に「研修に行きたいと思いますから、どうぞよろしゅう」と言うて、教務所長の名でお届があっておりました。その方が丁度出かけようとしよる所へ、御本部へみえて通りかかっておられてから、もう先日からうちの青年教師があちらへ行って。
まあここのまあ言うなら、私の四六時中を写真に写したり、写真に写ったりそれからここの、私がお話した本やらも沢山持って帰られて、でそれをその見られてですね、その私達は、これから合楽に修行に行くんだという話をしよった。そのあちら初めて聞いたんですけれども、教務所とは威智雄さんが、丁度従兄弟になるんだそうです。そんなわけでまあほんとに大変もう有り難い事だが、とにかくこの前も私にあちら中近畿の方、お話に来てほしいという話も、やっぱそこからだったんですけれども。
どうでもどんな事があっても、一ぺんこちらへ来てもろうて、話を聞かなきゃならんと、まあ思うとるとこう言われる。でその事をとにかく、いくら動かんと言われても、動かして見せると言うて、ま熱意を込めて言わっしゃって、あんたが行ったらその事、をどうぞ伝えておいてくれないかと。いやあ合楽の親先生はもう、絶対もう座ったきりで動かん主義だから。
僕どんが言うたっちゃダメでしょ、とまあ言ったと言う事ですけれどもね、こういう信心こういう人はね、もう金光教の歴史に残しておかなければならない人なんだと。だからどうでもそういう話しをね、なら近畿の人たちのみんながね、どうでも一遍お話を直に聞きたい。どんなに動かんと言われても、どうでもそのまあ、動いてもらうように頼んでくれということだったんですけれどね。
私は今日はこのところを頂きましてね、無常の風と言う事が、常でない風と言う事。それは、難儀とか困ったと言う事でもありましょうけれども、私は普通でないと。最近私が、合楽で起きておる言うならば、信心又はあの所謂この合楽理念が打ち出されてからこの方の、もう言うなら合楽で起きておるま分かりやすく言うと、奇跡の連続と言う様なその働きが起こっておる。
昨日も富永先生、いつも今日見えるんですけども、今日あちらもやっぱり生誕祭がありますから、昨日ご信者同道で見られて、もうほんとにもう合楽のごひれいというものは、もうとにかくやはり恐れ入りますと言うて、今度もあちらでバス、で、まあたくさんお参りをさせて頂きたいと言う。所がバスがあの丁度そのどこも、その空いてないわけです。そしたら、あのなんかそのバスよりも、なんか安いバスのようなもんでしょうか、バスでしょうやっぱりそれがその、行って下さる事になっておかげ頂いた。
そこ辺のそのその具合というものが、旅費はバス代は半分で済む。しかもあの日奈久教会のためにおかげを頂こうと言うて下さる方があって、もう大変おかげ頂いてほんとに合楽のごひれいですと言うて、昨日お届があっておりましたがね。いやもう普通ではないと言う事です。無常だからここは、その難儀とか困ったと言う様な意味じゃなくて、私はこの無常という、常でないと言う所と、最後に時を嫌うぞと仰る。
なら今合楽で一生懸命本当にごひれい立っておるという、言うならば神様がご発動ましましておる。神様が愈々その気になってござる。神様がならいつ又思いを変えなさるやら分からない。福岡の出社に姪浜があります。姪浜の大変修行なさった先生だそうですが、おかげを頂きある記念祭の時に、お米が何十俵かお供えがあった。お祭りが終わってからご神前へ出られて神様にお礼申されてまた御霊様にもお礼を申されておった。
けれども考えてみますと、自分の信心もまあある意味合いで大したもんだなあ、これだけの人を集めて、これだけのお米がお供えがなったと言う事は、ま有り難いと言いながら、そこにちょっと慢心の様なものが出たわけです。そしたら初代の教会長、吉木栄三先生のお声で、はっきり「唐津に行くぞ」と言うお声があったち言う。もうそれこそはっとするほど思い当たられたけども、もう遅かったとこう言う。
もう久留米の初代の一番ご長女が、唐津に縁についておられます。でも中々ごひれい立たなかったけれども、その時分を境に、唐津でどんどん人が助かりだしたと、こう言うのです。だからそんなら合楽の場合、それこそ常でない徒事ではないごひれいが、今輝いておる時である。ですから時を嫌うぞと言う事は、神様にもご都合があると言う事。いつまっでん合楽に一生懸命働くわけにはいかんぞと、例えばね言いなさるような意味が感じられるわけです。
時を嫌う同時に無常の風という事を常でない風、とても徒事とは思えない。それは私自身が一番分かるわけ。私ぐらいな者の信心でこれほどしのおかげ、またこれほどしのおかげをみんなが頂いておられる。有り難いことじゃ勿体無いことだと言いながら、ならその言わばあの中近畿の教務所長の、お話じゃないけれどもこういう人はね、金光教の言うならば歴史にも、残しておかなければならないほどしの人なんだ。
はあいろいろ噂を聞いて、まあ言うならば悪名が高いですから、いろいろ聞いてもおったけれども、実際にうちの青年教師が行ってみて、聞いてそして話を聞かしてもらい、書いたものを読ませて頂いたらです、こう言う様なと言う事は言うなら、合楽で長年皆さんに伝えておるお話の事も読まれたでしょうし、私の生い立ち、またそして今日までの言うなら和賀心時代を創ると、言った様なご本も読まれたに違いないです。
けれども私がまあ直感したことですけれども、合楽理念の素晴らしいことに、私は気づかれたのではなかろうかと思わしてもらう。近畿から参りましたその青年教師には、もう徹底して合楽理念を私は語りましたからね。言うならその大阪辺りも大変な大きな教会があります。けどももうあれはもう過去の事とおんなし事だ。あれ以上はダメだと。して親先生が亡くなられたら、すとうっとごひれいは落ちてしまうんだと。それがもうねもう目に見えてる。だからあちら辺りの信心は、もう頂くところはない。
今言うならごひれいが輝き出しておる合楽に行って、合楽の信心を頂いてそして先生、あなたがもし亡くなられたらどうなりますかと言う事が聞きたかった。さあそりゃ私も死んでみらにゃ分からんけれども、合楽に言わば助かりの理念と言っておるその、それが難しい事じゃない。体得しようと思や誰でも体得出来る。行じようと本気で信心を頂こうと、おかげを頂こうじゃなくて、信心を頂こうという気になったら、その気になったら誰でもが行じられる手立てが、様々な角度から解いてあるんだから。
合楽理念がある限り、私の代より子供の代、孫の代と私は繁盛していく。いわゆる教組金光大神が、いわゆる祝いめでたの若松様よ、枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神の道は、子孫繁盛の道を教えるのじゃと。その子孫繁盛の道が解いてあるんだと、合楽理念には。だから私の時代よりも、繁盛すると私は思うておる。とまあ言うた事ですけれども、なら合楽の先生がそう言う事を言うた。成程合楽理念を紐解いてみると、確かにそうであろうと。
そして金光大神の言われる事を、実証して行こうとしておる合楽に、心を寄せられたのではないでしょうか。金光様はいわゆる教祖様は、うそを仰っておられない。私を見なさいと言う様にいよいよ家繁盛、子孫繁盛言うなら親の代よりも子の代と、繁盛していく道が合楽理念の中には説いてある。だから合楽理念のあるが限りは、合楽はいよいよ繁盛していくと私は確信してるけれども、これも私が死んで見なきゃ分からんよ、と言った様な話をしたんです。
そして合楽理念を、まちょうど丸一日おられましたから徹底して、聞いてもらったんです。そしてこっからテープもたくさん持っていかれ、そしてそのテープも聞かれてそして直に、なら合楽の先生の話を聞きたいという話が起こって、ま今日に至っておる。まあ不思議な縁だなあ、その近畿の教務所長と、なら古川が親戚であると言う事はさらさら知らなかったけど、しかも出かけようとするほんのその時であった。だからひょっとして、ならその近畿の先生のその一生懸命の思いがね。
私が動かしなさるかも、そらもう分かりませんです。ですからどんなに考えても私は普通でないと思うです。今合楽でおかげを受けておるのは。だからそんなら皆さんとてもです、今合楽でおかげを頂き今この無常の風にですよ、いわゆるこれはあの情けないという無常じゃないですよ。常ではないという字から解釈してるわけです。とても普通ではない、この神様がご発動になっておる時に、今こそ信心を頂いて。
今こそおかげを頂いておかなければ、いつまた頂けるか分からんというくらいなものが、皆さんの一人ひとりにいるのじゃないでしょうか「いつまでもあると思うな 親と金 ないと思うな恩と災難」と言った様な、やっぱね詩があります。ですからなら私とても生身を持っておりますし、私が言うておる事とてもです、それが次から次と言わば変化していくかも分かりません。親先生は大体こう言うてあったのが、と言垢なら赤と言うてあったのが、いつのまにか桃色になったり、白色になったりするかも分からん。
これはもうもうあらゆる宗教を見れば分かるわけです。ですから銘々がその信心を頂き、銘々がその時代におかげを受けておかねばならんと言う事なんです。時を嫌わせるとは仰ってないです。時を嫌うぞとそこで、私は思わせて頂きます事にです、そういう言うならば絶好の機会を得ておるわけですから、その機会を逃したら、またいつ頂けるやら分からない。信心もです、本気でなら銘々のものにしておかなければならない。
言うならその合楽理念が自分の、ほんとに血に肉になっておけばです、いつなら神様が時を嫌うぞと言う様な時になっても、自分のもんになっておけば大丈夫なんです。天地との交流が自らの信心でなされる。天地との交流をはかる手立てをみんなが体得しておる。昨日一昨日の連合会の研修の時に、神様を信じると言う事はどう言うことかと、どうしたならば信じられるかと言うて、そのあとから班別懇談の時に、あちらの班でもこちらの班でも、そのことが問題になったと言う事です。
そうするとそのこれは、あの光橋先生の班で、永瀬勝国先生がそこにあたっておったそうです。でそのいろいろ話が出て、とにかく子供がついてこん、家内がついてこんと言った様な、どうすればその合楽では家族をあげて、信心しなさる人達が大変多いと言う事だが、どういう信心したらその皆が付いて来るだろうかという、そのまあ質問があったと。その時にその永瀬君が話しておる事がですね。
僕はねその父の信心による、そしてまあ一時はいろいろぐれた時代もあったし、また教会から遠ざかっとった時分もあったけれども、もうとにかく朝昼晩、父が神様に向こうておる、そしてもうほんとそれこそ、黙って黙って治めるあの姿には、ついて行かずにはおれなかったという話を、その話を昨日光橋先生に聞かせて頂きよったら、もう感動が湧いてきて、どうも仕様がなかったです。
皆さんがね黙って治めるてん何てん言いよるばってんが、すぐに失敗しよるでしようが。ところが永瀬さんの場合には、これはねあの娘婿の伊藤さんがそれをいうです。もう家のおやじのもう僕は、その親先生二人持っとるち。合楽と自分の家に親先生を持っとる。と言われるくらいな信心を、お互いが本気で身に付けとかにゃいけないと言う事です。そして、なら親の信心ついて来るというだけではない、お道の教師までも志そうという気になったのは、私は父の信心ですと言うて、もういちごうにもなかったです。
その話だって。結局私どもの信心が、ほんなもんじゃない証拠ですねと言う事になった。私昨日それを光橋先生から聞かせて頂いて、ほんとに私自身おかげを頂きました。信心とは徹する事だと、私はその時も申しましたように、やはりその事ならそのもう絶対その事に徹する事なんですよ。そこに人をそんなら動かす、ついて来ない者でもついて来らせれる言うなら働き、いわゆる凄まじい働きが起きて来る訳なんです。
今こそそういう徹底し信心をしとかなければ、いつまで合楽が今日の様なそのおかげ、言うならば御理解というてもです、それがテープに映されそれが例えば書物になり、そりゃいつでも読まれ、いつでも聞かれるでしょうけども、もう私がこうやって皆さんに語りかけるようにしての事はもうなくなるのです。これは不思議な事です。テープで頂くよりなまで頂くと言う事は、こんなにも違うと言う事が、皆さんも体験しておられる。ですから時を嫌うぞと言う所を一つ、あの分からしてもらわなければならない。
もう今頂いとかなければ頂く時がない、と言った様なものが、私はいるように思います。確かに今合楽で起きておる、ま全てのおかげというものがです、お互いがいつでん頂けれると言った様なものじゃなくて、本気で例えて言うならば、もう日々の御理解は例えば、これは私の遺言だと思うような気持ちで頂かなければ。今日は無常の風というのを、常でない風というふうに聞いて頂きました。
同時に時を嫌うぞと言う事は、姪浜教会と言うなら唐津教会の関わり合い。これから唐津に行くぞともう言われたら、もういかに取り縋っても、もう間に合わなかったと言われております。間に合わんような事じゃでけん。ほんとに今の合楽の、言うならば、合楽理念号という汽車なら汽車にです、乗り遅れない様に、全合楽の信奉者の方達が、もう団体で助かって行く様なおかげを頂き、現していきたいと思いますですね。
どうぞ。